「青春の蹉跌」(石川達三)

「自分は悪くない」症候群

「青春の蹉跌」(石川達三)新潮文庫

家庭が貧しく、
伯父から学費を貰っている
大学生・江藤賢一郎。
彼は司法試験に合格し、
伯父の娘・康子との
結婚も決まり、
将来を約束される。
しかし彼には
登美子という愛人がいた。
登美子から妊娠を
打ち明けられた彼は…。

自分の非を認めようとしない子が最近、
異様に増えてきました。
学校に行けない理由は
友達が優しくないから。
万引きをしたのは
先生に叱られたから。
成績が良くないのは
部屋が勉強に向いていないから。
悪いのはあくまでも周囲だと言い張る。
「自分は悪くない」症候群と、
私は名付けています。
こういう子どもたちと接するたび、
本書の主人公を
思い出して仕方ありません。

妊娠を打ち明けられた彼は、
登美子を箱根の山中に連れ出し、
その命を奪い去ります。
アリバイ工作をした上で。

筋書きだけ読めば、
まるでB級サスペンス・ドラマです。
作者が描きたかったのはもちろん、
この主人公の異常性に違いありません。

この江藤、
成績はきわめて優秀なのですが、
視野が極端に狭いのです。
出世の妨げになるから
亡き者にするという、
あまりに短絡的な考え方です。
そこには道徳性も人間性もありません。
人気のない山中へ
タクシーに乗って連れ出し、首を絞める。
普通に考えれば、
すぐ露見するのがわかります。
それなのにまるで
完全犯罪でも行ったかのような
幼稚な感覚を持っているのです。

逮捕されてからも、
「彼女が妊娠さえしなければ、
おれは殺す必要もなかった」、
取り調べをした「刑事に復讐してやる」、
登美子が宿したのが
自分の子でないとわかると、
面識もないその父親である男を恨む。
まさに「自分は悪くない」のです。
反省の色は全く無く、
情状酌量の余地なしです。

私は大学時代に初めて読み、
衝撃を受けた記憶があります。
以来、10年に1回くらい、
思い出して読んでいます。
でも、最近この本も店頭では
めっきり見ることがなくなりました。
絶版にこそなっていないようですが。

本書のカバーに
「あまりにも現代的な
頭脳を持った青年の悲劇を、
鋭敏な時代感覚に捉え、…」とあります。
本書が出版された昭和40年代では
そうだったのかもしれません。
しかし、そんな青年が
珍しくなくなってしまった現代では、
もはや時代遅れなのでしょうか。
この小説の存在意義が終わっているとは
思いたくないのですが。

(2019.4.16)

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